2018年03月15日

死について

お正月からあっという間に3月に!
沖縄は日中は連日初夏のような気温になりつつあります。

1月は少しゆっくりできたのですが、先月は5度目の伊是名島のお仕事やら、学校関係のお仕事やらで忙しくなり、今月は確定申告もありましたが今日ギリギリ提出して、ものすごくほっと一息ついております。

先月は、3年前に17年ぶりの再会を果たした親友の訃報があり、悲しい日々の中でもありましたが、仕事の忙しさもあって、心の整理もつかないまま日々が過ぎていきました。
3月に入って仕事が少し落ち着き、東日本大震災から7年の様子も多く伝えられたこともあり、「死」や「生きること」について再び考えさせられておりました。

親しい人の死はなぜに悲しいのだろう、死んだらどうなるのだろう…

と思って、Google先生に聞いてまわっていたら、悲しいのはその人を偲んで泣いているわけではなく、会えなくなることへの執着、残された自分が可哀そうであるという悲しさや、亡くなる時の痛みやしんどさを想像して、自分に訪れるであろう死を不安に思って悲しくなるのであろう、そしてそれは死者の人生を尊重していないことになることなどが書かれていました。


友人とは、1月までSNSを通じてメッセージのやりとりをしていたので混乱していたのもありますし、私と同じ年齢で家族を残して逝ってしまったこと、残された友人の家族のことを思うと悲しいばかりでしたが、今は、友人は友人の人生をきちんと生き切ったのだな、と思うようにしています。

3人の子供を明るくしっかりと育てあげた人生。
3年前に会った時、すごくすてきな子供たちだった。
子供たちのことも心配だけど、きっと彼女の子供なら、大丈夫。

人間はいつか死ぬ。必ず死ぬ。私も明日死ぬかもしれない。

でも私が死んだ時に、親しい人が会えなくなるのは寂しいと思ってくれるかもしれないけれど、私の死は悲しいと同情されるのではなく、あなたらしく生きたね、と思ってほしい。


私は今とても幸せです。

持ち家があるわけでもなく(実家はあるが笑)、高級車に乗ってるわけでもない。
毎日高級なレストランに行って美味しいものを頬張ってるわけでもない。
平凡で、結婚もしないで家族もいなけれど、今の私は幸せ、と思える心がある。


やりがいのある仕事があって幸せ。
仕事でいろんなところへ出かけていろんな人に出会えて幸せ。
しーちゃんとベランダで日向ぼっこする時間があって幸せ。
ファインダーをのぞいて熱中できる時間があって幸せ。
時々、パートナーと過ごす楽しい時間があって幸せ。

すみません、のろけではありません。(のろけになってないか。笑)
明日私が死んだら、これを見て「可哀そうに」と思うのではなく、はんのじょうはそれなりに幸せだったんやね、とでも思って下さい。



何かがあるから幸せ、誰かがいるから幸せではなく、幸せと思える心があるから幸せ。
「幸せじゃあ~」と思いながら過ごす時間があることが幸せ。
いろいろ読んでまわった先の仏教書にあった「摂取不捨の利益」とは、そんなものではないかしら。

死んだらどうなる」からの流れで「豊臣秀吉の辞世の句から学ぶ」あたりで感じたこと。

咲き誇った花も散るときが来るように、死の巌頭に立てば、必死にかき集めた財宝も、名誉も地位も、すべてわが身から離散し、一人で地上を去らねばならぬ。(http://d.hatena.ne.jp/lifespurpose/20130525


何かを失うことを恐れず、死を恐れず。不安からくる行動をしない。


でもね、
いつか何かを失うようなことがあったら、うんと泣いてしまうと思うし、自分がこの世を去ることになったらもっと生きたいと思うだろうし、つらく思うかもしれない。いや、絶対つらいと思う。実際はね。

たくさんの人の死を見てきたであろう、看護師だった母でさえ、元気な時は「死は怖くない」と言い切っていたけれど、いざ癌という病気の前にした時、痛みと戦いながら気丈に振舞っていたけれど、一度だけ私に本音を打ちあけてくれたことがあった。

私も同じ病に直面した時には、同じような気持ちになるのだろうか。
でもそんな時でも、相手の人生も、自分の人生も尊重することを忘れないようにしたい。



Google先生と僅かな人生を生きた経験で感じただけの雑感だけど、今の等身大の私が今思ってること。何十年か先、生き延びることができていて、読み返したら鼻で笑っているかもしれない。

あとね、別のGoogle先生からは「SNSで私は幸せとわざわざ書くのはほんとに幸せじゃない」っていうのも見つけた。笑

ブログにわざわざ書くのは、ほんとに幸せ、なんじゃなくて、「幸せじゃない」って思われるのが嫌なだけなのかもしれない。

だから、これからもっともっと幸せになるために、あくせくはしないけれど、今幸せにしてくれている周囲の人たちに感謝して、もっといっぱいの幸せに感じることを探して、周りにも与えられるよう、日常のひとつひとつを大切に、いつか人生を終わる時まで、しっかりと自分自身を生きていけたらと思うのです。

母の遺言
「それでも(残されたものは)生きていかなくてはならない」
の言葉の通りに。


posted by はんのじょう at 20:56| 日常・その他いろいろ | 更新情報をチェックする